PHOTO & ESSAY - フォト & エッセイ By 雪之丞

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オリジナル 私小説

■ 美代子さんの思い出

あれは、ピンクレディーやキャンディーズが大流行の頃のことです。
私が社会人になって、二年目のお正月のことでした。

勤めていた会社では、大阪に数か所の営業所があって、その一つに、私は入社してすぐから配属させられていました。そして私は入社以来、会社の男子独身寮に入っていました。


男子独身寮は会社の事務センターと同じ敷地にありました。今の時代には信じられないことですが、年末年始休暇やゴールデンウィーク、そしてお盆の夏休みが終わる一日か二日前に、独身寮の入居者の誰かが二~三人出勤して、郵便物の整理をしなくてはいけませんでした。事務センターに届いた郵便物を開封して営業所別に分けて、また内容別に担当者ごとに仕分けなければいけないものもあったりしました。
もちろん僅かでしたが手当がもらえて、みんなが仕事をしている日に代休ももらえたんですが、連休を削っての出勤なんて、誰も進んでやりたがる仕事ではありません。

その仕事は、同じ営業所の男子独身寮入居の社員二人か三人ですることになっていて、今回は私の営業所の当たり番。
しかし私の営業所で男子独身寮に入居しているのは私一人だけ。


まぁ、仕方ないさ。
二日掛ければ一人でも大丈夫さ。
その年は1月6日が日曜日だったので、私は4日の夜に、男子独身寮に戻りました。

「あらあら、風彦さん。お正月休みやのに早ようから大変やなぁ。」
寮の玄関に入ると、寮母さんが出迎えてくれました。

「明けましておめでとうサン。今年もよろしくナ。」
「こちらこそ。これ、ボクの田舎の名物。寮母さん、おやつの時に食べてください。ボクのために寮母さんまで早出していただいて、申し訳ありません。」
そんな年始恒例のやり取りが終わって、さあ階段を昇って私の部屋に行こうとした時、寮母さんはもう一度私の名前を呼びました。

「そやそや、風彦さん。美代子さんって、風彦さんと同じ営業所の人やったナ。明日、郵便物の整理、手伝いに来てくれるんやて。夕方電話があったワ。

私も一緒にしたるさかいナ。」

私は驚いてしまって、返事を忘れてしまっていました。

「美代子さんなぁ。ほんま、気立てのええ娘やなぁ~。」

寮母さんはわざと私に聞こえるようなはっきりとした口調の独り言を言いながら、食堂の方へ歩いて行きました。

美代子さんというのは私の営業所の先輩の女子社員。独身。
私が入社したてで何も分からない頃からの私の指導者でもあって、会社帰りには地下鉄で三駅一緒で、帰り道では時々ケーキを食べに行ったりビールを飲みに行ったり。でもいつも私と同期入社の美由紀が一緒で、美代子さんと二人っきりになれるチャンスはほとんどなかったように記憶しています。
歳は、私より2~3歳、いや、4歳くらい上なのかな。高校時代はバレーボールの選手だったんだって、私よりも身長は拳二つ三つ高い。
私が入社して一年余りは隣の席で、お昼も一緒に食べていました。

それが、前の年の秋から私は外回りの仕事が多くなって美代子さんと一緒に帰れなくなっていて、自然と美代子さんとは仕事のやり取りの無味乾燥な事務的な会話だけになってしまっていて、なんだか淋しく思っていた矢先のことなんです、明日は美代子さんと会えるんだ、そう思うと、その夜はなかなか寝付けませんでした。


翌朝早くに、部屋のドアをノックする音が聞こえて「風彦さん、美代子さん、もう来てるで」と、寮母さんの声がしました。

私が食堂に入っていくと、美代子さんは寮母さんと一緒に紅茶を飲みながら楽しそうに話していました。

美代子さんは大阪で生まれた女で会社へは自宅から通っている。
寮母さんは元々は会社の社員だったんですが、結婚して退社して、お気の毒にご主人を亡くされて、若いころ大阪に赴任していたことがある会社の役員の声掛けで男子独身寮の寮母さんとして再就職したという経歴。
ですから、二人は仕事のことでも共通の話題があったようです。

私は美代子さんへの年始の挨拶と朝早くから来てもらったことへのお礼を言ったのですが、どんな風に言ったのかは覚えていません、ただ、どことなくぎこちない話しぶりだったんではないかということだけが印象に残っています。

紅茶をすするふりをしながら、私の顔を見ないで美代子さんは小さな声で、
「風彦さん、まだ大阪の事務センターのことなんか知らんしナ、ウチが一緒やなかったらよう分からんやろナァって思ったんや。」

「ええ、風彦さん、よう聞いといてや。『傍に私が付いてなければ、何にもでないこの人やから♪~』、これが浪花の女の心意気なんやで。

赤うなってる。風彦さん、わりとウブなんやナ。」

「もう、寮母さん、からかわないでください。」
私はそう言うのがやっとでした。


さすが二人はベテラン社員と元ベテラン社員、郵便物の整理は昼前に終わってしましました。
私が果たした最重要な仕事は、寮母さんご推薦のご近所のお寿司屋さんに松のお寿司を取りに行ったこと、それだけだったような気がします。


お茶をふうふう吹きながら、
「なぁ、せっかくやし、美代子さん、風彦さんとどっかお参りでも行ったらどうやの。」
と寮母さん。

「そやなぁ。風彦さん、よく風邪ひいたりしてるから。今年は丈夫で頑張らんといかんし、なぁ。一緒に○○さん、行こか。」
あっさりと美代子さん。

私は「はい、判りました」と、反射的に仕事処理上の返事。
おいおい、もっと別の答え方があるだろ、ほんとにしょうがない奴だぜ、風彦って奴は。自分でそう思ってしまった私です。


そのお寺は梅田で地下鉄を乗り換えて五つくらいの駅で降りて、十分くらい歩いたところにありました。

お寺への参道はお参りの人、人、人でとても込み合っていました。そして参道の左右にはぎっしりと出店が並んでいて、その中には何軒もお酒をふるまっているお店がありました。
美代子さんはヒノキの枡を並べたお店の前で立ち止まって、「半分ずつ飲も」と私の手を曳きました。
紅い毛氈の長椅子に座って、私が一口美代子さんが一口、そしてまた私が美代子さんがと、時間を掛けて少しずつ。
長椅子も混んでいて、いつしか私は斜めに座る格好になっていて、美代子さんの右腕が私の胸に、私の左手が美代子さんの背に回ってしまっていて、私は左手を美代子さんの肩のあたりに軽く添えていました。もちろん二人の膝は、もうこれ以上くっつきようがないというくらいにピッタリと。

それから私は「美味しかったね、帰りにまた飲もうね」なんて言いながら、美代子さんの手をしっかり握って歩いていました、なんだか極々自然に。

さあ、二人でお参拝をして、「ねえ、美代子さんは何てお祈りしたんですか」と私が訊くと、「ダメ、教えてあげヘン。人に言うたら願い事叶えてもらえヘンのよ」と。
そんな美代子さんが、たまらなく可愛いと私は思いました。

美代子さんの口もとにとろけそうな私は返事に詰まってしまって、「ほら、あそこに、おみくじが。引いてみようか」なんて言って、胸に切なくこみ上げるものを誤魔化そうとしました。


とにかくお正月、おみくじも列を作って待たないといけない混みよう。
そろそろ冷え込んでくる時刻、私たちは半ば抱き合ったような格好で列についていました。

すると後ろで数人の女性の声が。
「なぁ、あんたら、さっきから仲がええんやなぁ。」
「そうやなぁ、『美代子さん美代子さん』って、『ボクの可愛いみよちゃんは♪~』やもんなぁ。」
「そやそや、ドリフの歌の通りやでぇ。」

そうだ、さっきの枡酒のお店で、いくつもいくつも枡を空けていたおばさんたちだ。

「風彦さん、気にしたらダメ。」
美代子さんは私の耳元に唇をよせて、小さな声で言いました。

「うん、分かってる。」
私は小さな声で短くそう言ったのですが美代子さんには聞き取れなかったようで、美代子さんは私の口もとに耳をよせようとしました。同時に美代子さんに聞き取れなかった気配を感じた私は美代子さんに向きなおろうとしました。そしてその瞬間、私の唇は美代子さんの頬に触れてしまったのです。

美代子さんの身体は一瞬ピクンとしたようでした。私は初めて気付いた美代子さんの化粧の甘い香に胸の奥底をくすぐられて、二人の足は止まってしまいました。

しばらく二人は茫然としていたのかもしれません。
何とか我に返った私はおばさんたちの方を振り返って、「あの、お先に、どうぞ」とだけ言うのがやっとでした。

そして「ごめんね」。
私が美代子さんのために咄嗟に思い付いた言葉は、それだけでした。

「ううん、偶然でも、うれしかった。」
それが美代子さんの返事でした。

私が美代子さんの手を両手で強く抱こうとしたその時、おみくじの列の先の方で大きな声がしました。

「なんでやのぉ~。ウチまた今年も『大凶』やて。」
「そらぁ、当たり前や。当たり前田のクラッカーや。」
あのおばさんたちです。


美代子さんも私も、思わずプッと吹き出して、顔を見合わせて笑ってしまいました、せっかくいいところだったのに。


そして見ていると、大きな声を聞きつけたからでしょう、おみくじ係のアルバイトの学生たちの後ろに、キリっとした顔立ちの背の高い若いお坊さんが現れ出ました。
でもお坊さんの表情はどこなく柔和で、なんとなく親しみが持てるオーラのようなものが漂っています。

若いお坊さんを見つけたおばさん、今度は、こともあろうにお坊さんに『言いがかり』です。

「あんなぁ~お坊さん、お坊さん。なんでウチのんが『大凶』なんや?」
「『大凶』かて賞味期限あるんとちゃうのん?」
「ちゃうちゃう、有効期限や!!」

なんてことだ。
その頃は『大阪のおばさん』なんて言葉は知りませんでしたが、凄いおばさんがいるものだと、私はこの時に知りました。

しかし、さすがに関西では知らない人がいないというほどのお寺ともなると、お坊さんもスゴイ。
ほんの一瞬、『えっ』といった表情を浮かべたかには見えましたが、慌てず騒がず、鈴を振るような綺麗な声で、
「はい、次回のおみくじを引かれるまでの間でございます。」
と、お答えになりました。

ずいぶん笑ってからおみくじを引いて、美代子さんと私は、おみくじを財布にしまって、手をつないで地下鉄の駅に向かいました。

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